1)介護事業大手のコムスン、組織的巨大不正請求が行政処分に、事実上の廃止へ。

2)一方では、社会保険庁の年金納付記録の紛失 さらに 1400万件!国民年金も納付記録削除?!

 さて、このような問題がおこる根本には、制度の無理があると思う。老人を誰が世話して、どう生計を立てるのか?この問題は、実は、故橋本龍太郎首相が1990年代に皆に突きつけた質問に由来する。橋本首相は国民に向かって、「老人をみるのは、家族ですか?それとも、国ですか?」と尋ね、「私のかなえは長男の嫁で、長年の親の世話で、大変でした。ですから、国が老人をみます。」と述べた。思うに、これは、戦後政治が究極のスパルタ的志向の体制であったことを物語るものであろう。家族よりも個人を大事とする、一見かっこいい個人主義思想のように見えるが、実際は、個人と政府を直接つないだスパルタ的集団主義に他ならない。個人は政府とのつながりで生きるということなのだ。

 

 歴史に学べば、家族という仕組みを破壊した、集団主義のスパルタの隆盛は一代限り。結局、家族中心主義を貫いたアテネに、ギリシャの覇権は集まるのである。お亡くなりになった橋本首相は、こういった歴史をご存知であったのであろうか?また、中国では戦国時代は法家の思想を取り入れた秦が覇者となり統一を遂げたあと、平和な時代には、家族を重んじる愛を中心とした思想、孔子、孟子の儒家の思想のもとに、漢は平和と繁栄を極めていくのである。第二次世界大戦後の廃墟の中からの復興には、集団主義は有効であったが、核兵器のかさのもと平和の続く現代においては、集団主義こそ時代遅れなのではないだろうか。集団主義がモラルハザードに結びつき、社会が倒れ てしまった姿は、毛沢東の大躍進政策の失敗、ソビエトの崩壊など、現代史にも明らかである。わが日本でも、今まさに、モラルハザードが露見し、問題化してきているのだ。一方、シンガポールのリカンユウは、家族重視の保険政策を成功させた。

 

 家族は、人類を未来へつなぐタイムカプセルだ。家族は、過去から未来へ、時を超えて我々人間をつないでいく大事な仕組みなのである。あまりに本能的な仕組みなので軽視されてしまってるように思う。家族を大事にするという枠組みの中で、老人問題も考えなければならないのではないだろうか。老親、親、子、孫とつながって暮らす仕組みをサポートする政治が、今の日本に必要だと思う。それが、出生率の改善にもつながるだろう。文化の継承にもつながるだろう。老後は子にみてもらうとなれば、子供を大事に育てるだろう。子供の虐待も減るであろう。

 

 人間の夢は一代ではかなわないことも多い。何代もかけてかなうこともある。

 

  家族というシステムの社会における重要さを考慮すると、相続税は廃止すべきだ。世界には相続税のない国が多い。日本も天皇の世紀(大化の改心以後の奈良大和朝廷時代から平安時代初期までと明治維新以後から現代まで)以外は、相続税がなかった。

 また、子供にも選挙権を与えよう。20歳までは親権者が、子供に代わって投票することにすればいい。 そうすれば、必然的に子供を大事にする政策をとる政党に票が集まるだろう。子供を大切にといいながら、事実上子供は政治からはずされているのが現況だ。

 同様に、認知症の老人を大切にと考えているなら、世話をする子供が、老親に代わって投票できるようにしたら、いいと思う。