将棋の米長邦雄元名人が、前立腺癌で、12月18日お亡くなりになりました。心から、ご冥福をお祈りします。


 私の趣味は将棋で、中学高校ころは、大会で何回か優勝して、賞品を自転車の荷台にどっさり積んで家に凱旋して、将棋の棋士を夢見たこともあった。 大学時代は東大将棋部で2度全国優勝し,大将を務めたこともある。21歳と30歳の時、東大将棋部OB戦で2度優勝している。


 1970年(もしかしたら1969年)、私が小学6年生(1969年なら小学5年生)の時、米長さんは七段でNHKの将棋講座の担当をしていた。番組で、米長七段は四間飛車やぶりの講義をしていた。その内容の一部が、大山名人 著の「将棋は四間飛車」と異なっていた。問題点は山田定跡で5四歩とついた形での、3五歩の仕掛けの成否である。大山名人の著書では仕掛け無理と書いてあったのに、米長七段はテレビで仕掛けありと言ったのである。小学生の私は疑問に思い、NHKに投書した。 1週後にその手紙がアナウンサーの手で取り上げられた。アナウンサーは「この間の仕掛けのことで、こんな投書が小学生から来ています。」といって米長七段に手紙を見せた。米長七段は、手紙を一瞥し「ほう、よく勉強していますね。ははははー」とけむに巻いて話は終わった。米長七段が間違っていたのである。


 米長七段はその後、昇段し大活躍した。私は大学生時代、氏の著書「米長の将棋」を愛読した。大学生の時の大山名人との王将戦における勝負、五〇歳名人になった中原名人との闘 いは、特に印象に残っている。


 今、米長さんの関連のサイトを読んでいると、性豪であった米長さんはそれが出来なくなるのを嫌がって前立腺の切除手術を拒否したと書いてあった。それなら、 「HIFU」という手があったのに・・・・。HIFUでは7-8割はそれが維持される。米長先生はご存じであったのであろうか?


 先の歌舞伎の中村勘三郎さんといい、この米長邦雄さんといい、癌で死ぬ有名人が多いが、実は、今の日本では、毎年約70万人(2007年)が癌になり、35万人が癌で死んでいるのである。 今や、日本は「癌戦争」の時代に突入しているのである。


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(ポリープ切除付)無痛内視鏡消化管ドック田渕正文院長の履歴

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