医師にとって誤診とは、恥である。ただし、医師の未熟というより診断システムの問題により、現実には致し方ない場合もある。裏返していうと、その恥の気持ちが、各種検査機種(レントゲンとか、CTとかMRIとか、ECHOとか、内視鏡とか、PETとか)の開発に結びついているともいえる。


 さて、大学時代、小坂第三内科教授の退官記念講演のテーマは「誤診率」であった。先生は講演の中で、「誤診率のトップは、注腸検査であった。」と述べられた。「ときには、進行癌ですら注腸検査では見落とされている」とも。学生であった私は、「そんな馬鹿な、進行癌なんか見落とすはずがないではないか」と思った。なぜなら、進行癌は通常3cm以上有り、よほど、前処置が悪くても、わかるのではないかと思ったのだ。


 そして、時はめぐって、研修医時代、実際に注腸を行う立場になって、わかった。注腸は本当に難しいのだ。前処置が悪いとまず分からないといっていい。体位変換をして、腸の内容物を動かし、それでも壁についているものは病変で、流れるものは便なのだが、腸の曲がりくねった形態や、腸の収縮、便の多さなどで、病変が紛れてしまうのだ。さらに、時はめぐって、常勤医時代、注腸でs状結腸に小さなポリープが見つかったといって、 PL検診センターから紹介された患者の大腸内視鏡検査をやって驚いた。盲腸に大きな進行癌があったのである。同様のことが、2-3回続いた。また、当時、私は大腸内視鏡検査で、平坦な大腸腫瘍を数多く見つけており、注腸の原理的な限界にも気がついた。それ以降、私は注腸による存在否定診断はしないことにしている。


 このような思いを、我々の世代の消化器専門医はそれなりに経験したために、大腸検査といえば注腸よりも内視鏡検査という常識が生まれ、内視鏡技術の進展につながったのである。「注腸の誤診率は高い!」、小坂先生の言ったとおりであった。