東京大学消化器内科の第一回同窓会が、小池教授の下、後楽園ホテルで開催された。火曜日の夜であったにもかかわらず、ざっと、200名ぐらい集まっていた。和気藹々とビール片手に旧交を温めてきた。

 

 さて、伝統ある東京大学で、消化器内科の同窓会がなぜ第一回なのか?それには少々込みいった事情がある。

 

 そもそも、私が東京大学を卒業した1984年には、東京大学に消化器内科はなかった。内科といえば、第一内科、第二内科、第三内科、第四内科、物療内科、神経内科、老人科の7つがあった。神経内科だけは、専門分化していたが、その他の6つの内科には、それぞれ、胃腸を研究対象とする内視鏡を担当する研究室があった。また、第一、第二、第三内科には、肝臓病を専門とする研究室があった。当時は、それぞれの内科教室で、全人的な医療が行われていたのである。ちなみに、私は物療内科の第15研究室、通称、消化器研に属していた。

 

 しかし、教授がインパクトファクターの合計点で選ばれる時代となり、全人的な医療よりも臓器別、疾患系統別に専門的な医療や医学研究がしたい、という時代の要請で、1998年に、内科が再編成されて、東京大学消化器内科が生まれたのである。

 

 初代の消化器内科の教授はなぜか千葉大出身の小俣政男先生であった。小俣先生の専門は肝臓病であった。私の学年で、内視鏡や消化管を専門としていたものは8名いたが、大学に残って研究していた4名は、残念ながら、全員大学を追い出された。当時の学内の内紛の様子は開業していた私にも、漏れ伝わってきていた。とても、同窓会といった雰囲気ではなかったのである。

 

 1998年の改変時に、なぜ、消化器内科でなく、肝臓内科と消化管内科に分けなかったのか?

 

 2009年に就任した二代目の小池教授の専門も肝臓病(肝炎ウィルス)である。小池先生は東大卒で一内の肝臓グループの出身である。消化管グループの憂鬱はまだまだ続いている。

 

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