12歳の時、大阪万博が開かれて、親戚の家に泊まりながら、何度も万博に通った。その時から、遠くにそびえ見える大阪城を一度訪れてみたいと思っていた。今日は、東京から新幹線に乗って大阪へ行った。用事が早く済んだので、大阪城に立ち寄ることができた。

 天気は快晴。大阪城公園から入る。ロックバンドが賑やかで楽しい。外堀を越えてから今度は内堀。ぐるぐると30分ぐらい回らされる。大阪城の内堀、外堀の高低差、石垣の高さは、江戸城をはるかに凌いでいた。また、正面の門にある石垣の最大70平米を超えそうな巨石は圧倒的であった。どうやって運んだのであろうか?豊臣秀吉の権勢がしのばれる。この城に立てこもれば確かに安心だったに違いない。落城トラウマのある淀君が、しゃにむに大阪城を離れたくなかったのは、当然だろう。

 

 事実、大阪冬の陣では、徳川幕府の大軍を追い返したのである。しかし、徳川幕府方の巧みな外交戦術に騙されて、外堀を埋められて、砲弾が天守閣まで届くようになり、大阪夏の陣では落城の憂き目にあった。淀君と秀頼公が自害した蔵は、高い石垣の上にあった。いまだに、暗く悲しい雰囲気が周囲に漂っていた。敵の戦略に騙されないほどの、巧妙な知恵がなければ、負けて死に絶えるのも道理だが、基本的には大砲がものをいったのだ。

 ちなみに、明治維新では、維新軍には鍋島公が開発したアームストロング砲があった。その新技術の射程は長く、江戸城に逃げ場はなかった。戦わずして江戸幕府側は開城するよりほかなかったのである。近代の戦争は、科学技術の戦いであり、より強力な兵器を持つ側が勝つ。第二次世界大戦でも、戦闘機・爆撃機の開発、原爆の開発、レーダーの開発、暗号解読技術の開発などなどの競争に負けて、日本は敗戦の憂き目にあった。いくら精神論を説こうとも、竹やりでは機関銃には勝てない。



 医療の戦いも同じ。いい薬ができれば、病気は簡単に治る。問題は治療法のない病気だ。

 

 最近、内視鏡を作るのに、一本一本お役所の認可を取らなければならなくなったらしい。ステンレスの材質をニッケルからクロムに変えるだけで、多くの書類を用意しなければならないそうだ。知見も必要で費用と手間もばかにならないそうだ。また、企業と大学の間での自由な研究的な交流にも、役所が介入してくる。だから、最近は新しい内視鏡が作れないのだそうだ。いい鉄砲(内視鏡)が作りにくくなれば、戦争には勝てない。官僚は、「安心安全の日本」「消費者保護」という標語を逆手にとり、医療機器や薬剤などの規制をますます強くして、外郭団体をさらに増やし、退職後の天下り先を用意するのに躍起だ。不自由になった日本では、技術開発が頓挫して、新薬、新医療機器が無くなっている。認可は外圧のみ?!という現状だ。小泉行政改革は「官僚による官僚のための官僚の政府」を作ったのに過ぎなかった。

 

 いま、病気と闘っている先輩医師のがんじがらにされた姿をみて、これでは無理だと、新兵が外科や内視鏡などの現場系に入ってこないのは当然だ。

官僚と政府が変らなければ、良心が滅び、産業が滅び、国が滅びると本気で感じる。

 

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