10年ほど前、アメリカで、骨髄移植をカバーしていない保険に入っていた少女が白血病になり、骨髄移植をしてもらえず、死んでしまったというホラー話があった。治せる可能性が高い治療法があるのに、治療してもらえないなんて、怪奇そのもの。アメリカって、お金がなければ命も救ってもらえない残酷な国だと思っていたものである。後日、死んだ少女の親が保険会社を訴え、何百億円の賠償金を勝ち取った。負けた保険会社の社長は、メキシコへ遁走。保険会社は消失。さすが、陪審員制度のあるアメリカ、民意が反映する豪快な結論だと思ったものである。


200511月終わりごろ、多発癌(胃癌、大腸癌、食道癌:いづれも粘膜内癌)とパーキンソン病で長年、当院に通ってきたAさん(80代男性)の家族が、夜遅く、しかも4人もやってきた。


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月末、咳・痰・熱があり、近くのお医者さんをAさんが受診したところ、気管支炎と診断されて、都立病院へ紹介され入院した。入院後、点滴などの治療により気管支炎は治ったが、全身の容態は改善せず。CTにて肝臓に癌が多数見つかったという。「胃癌からの転移でしょうから、助かりません。」と説明されたという。私が内視鏡で切除した胃癌は4mmのⅡbであり、まず転移するような癌ではないのである。主治医は私になんらの問い合わせもせず、胃癌の転移と診断したのは問題である。しかし、ほんとうの問題は「その後」にあった。


 その後、気管支炎が治ったにもかかわらず、
Aさんの容態は重く、食欲もないのに、都立病院は、一切治療してくれなかったという。転院先を見つけるようにいわれて、何の検査も何の治療もしてくれなかった。点滴1本もしてくれず、はやく出て行けと言わんばかりであったそうだ。日に日にAさんが弱るので、奥さんは都立病院の先生に泣きついた、「これじゃ死んじゃう。」と。それで、やっと点滴を1本だけしてもらえるようになったそうだ。


 ご家族が来たのは、今の窮状を何とかしてほしい、転院先を探してほしいということであった。私は後輩と相談して、老人病院を紹介した。


都立病院の中に都民がいてどうして、医療をしてもらえないのか?それは、包括医療だからである。2年前の医療改革で採用された包括医療とは、入院時の診断名と病期に応じて、保険支払い基金からもらえるお金は決まってしまうしくみである。入院後に新たに病気が見つかっても、治療や診断のための追加の料金を医療機関はもらえないのである。胃癌で入院して、時間があるからといって、ついでに痛くなった虫歯を治してもらおうというわけには行かないのである。胃癌で入院して、前立腺癌が見つかっても、その入院の時には前立腺癌に関する診療は保険でカバーされないのである。


 A
さんは気管支炎で入院したので、入院後に見つかった多発肝癌の治療や診断の料金を、医療機関はもらえないのである。Aさんの主訴、食欲不振の原因は多発肝癌が原因であり、都立病院なのだから、赤字覚悟で、都民に貢献すべきであると思うが、「赤字病院はつぶすぞ!」と石原都知事は言明しているので、無料で治療はできないというのが、都立病院長の本音であろう。でも、それは、医師法違反なのではないだろうか?(医師法第19条:診療に従事する医師は、診療治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。)


 病院の中にいて必要な治療をしてもらえない包括医療(
DPC)って、いったい何だろう。まったく患者のためにならない、医療を崩壊させるシステムであると断定せざるをえない。包括医療(DPC)は人間を全体として捉えることを否定した欠陥制度である。今年4月、さらに、経済優先、圧力団体優先(日本医師会は除かれている)で、医療制度は改悪される。このまま、お金、お金といって進めば、もっと、ひどい、耳を覆うようなホラー話が、日本でも現実のものとなるであろう。


 予算のことばかり考えて、患者の病気や病状を考えない今の医療改革には、反対である。医療の現場を大切にする合理的な医療改革こそ、真の医療改革であると考えている。


日本でも、近日中に、陪審員制度がはじまる。憲法第25条、「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活する権利を有する。②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び、公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」公立病院で、食事の取れない患者に、点滴もできないような医療システムは、民間の感覚では、憲法25条に明らかに違反しているだろう。DPCなどの今の医療改悪を進める人たちは、やがて、裁判で陪審員に責任を追究されて、メキシコへ逃亡する日がくるだろう。